母のこと。



今朝の気づきはガツン!ときました。

「ドンピシャ」だったから。

私の母は5人兄妹の長女
奄美群島の最南端の島 与論島から中学を出て名古屋で集団就職
それから富山の兼業農家へお嫁に来て35年間工場で働きながら私たち姉妹を育ててくれた



私は22歳で静岡県へ嫁ぎ、太平洋側と日本海側で別々の暮らしをしていました

私は左官職人で昔気質の頑固な父が怖くて大嫌いだった
その分、母の事が大好きで母がいつも明るくニコニコおおらかで居てくれて本当に救われてたと思う

だから、母が定年を迎えたら静岡へ沢山来てもらって色んな場所へ案内して美味しいものも沢山一緒に食べようと計画していた。

ところが、母が2月の誕生日に満60歳で定年を目前に子宮ガンが発覚した
筋腫のカゲに隠れていて発見が遅れたらしい
幸い子宮の全摘も腹腔鏡手術で済んだ
そこまでは良かったが、その後の抗がん剤治療で母の容体が急変

静岡から富山の病院に駆けつけて
ぐったり病院のベッドで横になっている母を見たとき、とっさに
「死んじゃう!!」って感じた

本当に怖かった
ただひたすら
「なんで?」「どうして?」「これから親孝行いっぱいしたいのに!」「お母さんは今までこんなに頑張ってきたのに!」「なんでこんな目に遭わないといけないの?」って思いが頭をグルグル駆け巡っていた

苦しんでる母の足をひたすら祈り泣きながら一晩中マッサージした
私に出来ることはそのくらいしか思い浮かばなかった…

とにかく「死なないで!」「死んじゃ嫌だ!!!」ってその一心で母の冷たい足をさすりマッサージし続けた

幸いその後、母は無事回復しガンが発覚してから8年経過して再発はしていない
今でも母は「あの時のあなたのマッサージが心地よくて、おかげで元気になった」てニコニコ話してくれる
後遺症はあるけど命が助かって母の元気な笑顔がもどってきて本当に良かった
ただただ感謝しかない。

今朝、千葉修司先生の話を聴いてその頃の映像がハッキリと頭の中に蘇ってきた…
今思えば、母も私も定年後の安泰な生活をゴールにしていたのかもしれない。



「挑戦」なんだか難しい、困難なイメージもあったけど
私が、いつも心がけている

行ったことない場所へ行く
食べたことないものを食べる
やったことない事をやってみる

それも挑戦だって千葉先生の言葉が素直に嬉しかった

朝からヘビーで長いひとりごと
お付き合いいただいた方がいらっしゃったら本当に感謝です
ありがとうございます



今日も積極的に強気で楽しもうっと!
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